プラザ合意による急激な円高と、韓国や台湾など新興工業国の追い上げにより苦境に立たされた1980年代の日本の合成繊維業界。国内の合成繊維生産の縮小で、日本の合繊原料メーカーは活路を海外に見いだす。90年代に入り、国内大手は相次ぎアジアに生産進出。日系の顧客に加え、現地の顧客を次々に取り込み、アジア大手に躍進した。このアジア進出の経験とノウハウが、遅れていた日系化学企業のグローバル化の基礎を築き、後の経営幹部を多く輩出することになる。

平成の最初の20年は相次いでアジア拠点が稼働。(三菱化学のインド第2期竣工式)

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