数十年前の繊維業界の話である。テキスタイル部門の開発担当者が苦心の末に新作を作り上げた。「美しいラインを引き立たせる落ち感。ドレープ性にも優れる。ドレスしたら映えるだろう」―。新たなテキスタイルを前に、彼は「これは売れる」と直感したという。事実、欧州の高感度アパレルに採用され、その実績が他のハイブランドにも波及した。「良いモノを作りさえすれば売れる。そんな時代だった」。当時を振り返って、その開発担当者は目を輝かせながら話した。
 時は流れ現在。繊維の業態は多岐にわたり、その名残は社名だけという企業も少なくない。そして当然のごとくモノづくりのあり方も変わった。
 繊維メーカーの自動車向けビジネスを例にとってみよう。ある企業では、数年先に生まれるであろう未来のクルマを想い描き、その先進機能を具現化できるような素材の開発に力を注いでいる。「車内で多用されるであろう曲面ディスプレイ向けのエンプラは何か」「クルマと人が一体化するようなセンシングシステム用繊維素材の開発」といった具合だ。そこには、かつての”良いモノ神話”を信奉する姿はない。
 メーカーの研究開発担当者から「時代を先取りしすぎた」という話を、しばしば耳にする。ある化学メーカーは高容量化が可能になる電極部材を開発したが、結局は売れないまま「細々と事業を継続している」。電池は電極や電解液、セパレーターなど構成部材の”すり合わせ””組み合わせ”で性能が決定する。ある一つの部材が優れていても、それが高容量化に直結するわけではない。
 未来を見据えたモノづくりは正に、この”すり合わせ”に他ならない。素材・部材が持つ特性を適用先の製品に落とし込むと同時に、素材を使用する製品や、その実装先まで捉えることができなければ、素材メーカーのさらなる成長はあり得ない。自動車メーカーを相手にしたビジネスにおいても、顧客の要望に対応するだけの企業よりも、顧客の潜在的な需要を捉えて素材提案を行っている企業が、より大きな成功を収めているといえるだろう。
 ただ、あのテキスタイル開発者のような、良いモノを作ろうとする職人魂だけは、これからも長く継承してもらいたい。あらゆる技能が数値化され、ロボットが取って替わる技術も発展目覚ましいが、人が社会を作ることには変わりがない。これからの時代の社会制度や文化に、素材がどう貢献することができるのか。そんな明日を見つめたモノづくりを期待したい。

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