狂言の人間国宝である山本東次郎氏の講演を聴くために渋谷にある私立大学を訪れた。狂言とその「面」についての話で、大学の博物館では面の特別展示も行われていて、印象深かった。とくに子役によって400年以上、何世代にもわたり使われ続けている子猿の面には、人を時間の不思議に誘わないではいない言いしれぬ存在感があった▼教科書的に言うと、狂言は中世に生まれ、現在も能とともに能舞台で演じられている古典芸術である。能が人間の美しさや気高さを描くのとは対照的に、狂言は人間だれしもが犯しうる失敗や過ちを取り上げ、人間の愚かしさをありのままに描くのだという▼正しい道、気高き理想を追い求めて脇目も振らず物事を究めるなんて人ばかりでは、この世は生き難い。狂言のように、失敗、不如意その他もろもろのネガティブを客観視し、笑いに変えてしまえればこのストレス社会もすこしは生きやすくなるのかもしれない▼SNSの普及で、他人を傷つける悪意や不機嫌が一気に拡散する。そうすることで発信者自身が不機嫌から脱し得るかといったら、そんなことはないだろう。他人を攻める前に、「ちょっと待てよ、誰にでも愚かしさはある」といった一呼吸と客観、そして寛容がほしい。強ばった面は外そうと思えば外せるのではないか。(18・5・31)

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