電車で新聞を広げている人を見かけなくなって久しい。たまに見かけると、ついその読んでいる人をまじまじ見たり、何新聞を読んでいるのだろうと題字を探したりする▼たしかにニュースだけなら、スマホに刻々と到着するテキスト形式の記事を読んでいれば事足りるかも知れず、そのため新聞不要論なども語られている。ただ、このとき語られているのは「紙の新聞」不要論であって、新聞社不要論でないことには気をつけたい▼もう一つ注意したいのは、新聞という情報メディアが持つ特殊性である。世の中は動き続けているから、ニュースは次々と生まれとどまることがないが、ニュースを即時に流し続けるだけでは、「この一日」を記録として残していくことは難しい▼新聞は印刷して配送するという物理的限界があるために、ニュースの流れをいったん区切る。そして専門職による見出し付け、レイアウトという意匠を加え、ある一日を2次元表現として記録していく▼私事ながら、娘が生まれた日など記念すべき日の某全国紙の1面を撮影した写真を大事に保管している。新聞組みは、歴史に一日一日を刻印するデザインであり、とくに150年以上の星霜を経て培われた和製新聞レイアウトの文化は廃れてほしくない。35年も新聞作りに関わってきた古い人間の戯言だろうか。(19・9・4)

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