ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は広島・長崎を訪れ、核兵器の開発をテロ行為と断じ、その使用も保有も倫理に反すると述べた。言われてみれば当然と思うその発言に軽い衝撃を覚えた。理想を引っ込め、小手先の現実論ばかり模索する小市民を自覚させられたからだ▼自分自身に信仰する宗教はない。むしろ科学技術を否定し、異教徒を排除する宗教に不信感を持っていた。入国ビザに宗教を記入するときなどは仕方なく仏教徒と書くが、違和感をぬぐえない。それでも人間の歴史を考えるとき、宗教の存在は大きく、無関心ではいられない▼主流となった宗教の多くは、理想的な社会から程遠い現実社会に対し神が怒り、人間に審判を下すという考えがベースにある。真面目に生きているのに苦労が絶えず、厳しい生活から抜け出せない人々にとって神は救世主となり、生きる希望となる。その宗教は数千年間、衰えることを知らず現在に至っている。この間、人間社会は常に理想から遠かったと結論付けざるを得ない▼国連の持続可能な開発目標(SDGs)は、貧困、飢餓、差別、環境破壊といった人間が生み出してきた課題を解決し、理想的な社会を実現しようという目標だ。ある意味、神を持たない宗教のようでもある。今度こそ、理想に近づけるのであろうか。(19・11・26) 

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