知り合いのフランス人が日本を離れ、ドイツに移住するという。日系企業の勤務経験の話になり「何かを変えようと提案しても聞き入れてもらえない。決められたルールにこだわりすぎる。いまだにファクシミリを使うし、会議も多い。“シンジラレナイ”」と、まくしたてた。

 外部環境がいろいろと変わるなか、適応に取り組まない組織を探すほうが難しい。しかし恒常性維持機能が働くのか、変わることへの抵抗が生じるのも事実である。

 現状を保つのは現状に適応できているという意味で、現時点では悪いことではない。だが幸か不幸か環境は変化するし、適応しないと生き残れないというプレッシャーが生じる。変化を予測して準備するのか、状況が変化してから適応するのを待つのか、その姿勢の差は歴然となる。

 企業文化のガラパゴスぶりに見切りをつけ「ドイツで職探しをする」と意気込む、そのフランス人。年齢や国籍の問題に加えて、もっと根源的な欲求もあると説く。いわく「知らない世界で暮らす新鮮な感覚が好き」。4年前、住居の確保など最低限の手続きを調べただけで極東の地を踏んだ。日本語力はあいさつ程度のまま滞在を終え、ドイツ語も分からず、仕事も決まらないまま移住していく。変化を恐れぬバイタリティーに脱帽だが「日本での仕事は英語で事足りた。ドイツでも同じ」と涼しい顔をしている。

 環境は特定の日時に一変するわけではないが、即刻適応することもできない。予兆があり、段階的に変質し(一時的に)適応するプロセスをたどる。コロナ、デジタル、遺伝子、サステナブル、ジェンダー等々。トレンドから未来を予測し、打ち手を考え、実行するうえで葛藤を感じるのならば、それこそ変質が始まった証拠である。不安を抱え込みすぎるより「不安があるから変われる。新しい経験を楽しもう」と、フランス流に気楽に構えるのも一策だ。

 しかし一筋縄ではいかないのも、またフランス流か。コロナ禍でも変化を追う開拓者精神に感銘を受けていた、その時、パートナーはどうするのかと問い質すと真相が明かされた。「パートナーが転勤するから同道する」。

 これから起こる変化は、事前に明瞭に認識できないからこそ不安が増幅する。未来を見据えて取り組んでいるのであれば、堂々と変化に対峙すればいい。そうした果敢な組織や個人は、景色が変わった後に“シンジラレナイ”と立ちすくんだとしても、きっと変化との格闘の過程で身についた力によって「そういうことか」と、再び前を向くことができるだろう。

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