9月入学・始業制をめぐる議論の盛り上がりに驚いている。旧来の支持者が、新型コロナウイルスの感染拡大にともなう社会の不安に乗じて自論を押し通そうとしているようにも見えるが、批判は「わらをもつかむ」思いの当事者らの期待にかき消されている。

 大阪の高校3年生が文部科学大臣に宛てた9月入学・始業制への移行を求める文書には、2万人を超える署名が集まった。文書では学校生活を全うしたいという思いと、受験を前にした格差への不安を綴り「グローバル化にともない新学期を9月にずらす案は以前からあったということも知りました」と付け加えている。そして「私たちの人生の中でかけがえのない青春の1ページに、もう一度色を塗れるチャンスをいただけないでしょうか」と呼びかけ、9月への移行に願いを託した。

 民間の調査会社が行った9月入学・始業に関する意識調査では賛成が47・8%、反対は18・4%だった。賛成する理由には「この機に変えるのがよい」という旧来の支持以外に「遅れを取り戻せる」「(オンライン授業など)準備ができる」「地域の格差がなくなる」など、学力格差対策への有効性を挙げる声が目立つ。

 従来の学校運営ができないなか、児童・生徒の教育は深刻な問題となっている。緊急事態宣言延長で今月末まで休校の地域がある一方で一部は再開。なかには、すでにオンラインによる授業を始めていた学校もあり、機会の格差も際立ってきた。児童・生徒本人や保護者が、出遅れへの焦りから仕切り直しを求めるのは当然だ。ともかくも来年3月をゴールとして、本来1年間あるべき学校生活が足早に済まされてしまうことへの不満も理解できる。しかし、ここで求められているのは全国同じ条件で学習できる環境を整えたうえで、1年間の通学期間を確保することである。開始を9月とするのが第一義ではない。

 9月入学・始業制の是非を問題にしているのではない。非常時において平時に及ぶ判断をするのは、よくよく注意しなければいけないと言っている。どうしても目の前の課題解決にとらわれ、付随する問題を軽視しがちになるからだ。議論ばかりで一向に物事が変わらない事態に歯がゆい思いをしてきた支持者にしても、それを利用するのはフェアではない。

 非常時には迅速な対応が求められる。議論を尽くしている余裕はない。だから緊急対策は時限的にしておく方が懸命だ。そうであればこそ、既成の枠組みを越えた果断な判断もできるというものだ。

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