年末に続いて、またシンガポールの話。30年近く前、シンガポール支局がまだなかった頃、特集の取材で当地に出張した際、どうしても行きたい場所があった。ひとつはラッフルズホテル、そして地下鉄サマセット駅。当時、サマセット・モームの小説を愛読していたのである。ラッフルズはモームが長期滞在したホテル、サマセット駅はモームの名前を由来にしたといわれる▼「007シリーズ」ジェームス・ボンドは、スパイ時代のモームがモデルとも言われる。それゆえにだろうか彼の観察眼はシニカルで、人生は無意味・無目的だという達観が文章のいたるところに表れる。いま画家ゴーギャンをモデルにしたという『月と六ペンス』を読んでいるが、ちりばめられたアフォリズムに赤線を引く手が止まらないほどだ▼たとえば「歴史の振り子はただ左右に大きくゆれるだけで、人間は同じ軌道の上をたえず行き来しているにすぎない」「他人の気に入りたいという欲求は、おそらく文明人のもっとも抜きがたい本能なのではあるまいか」等々。政治も経済も人類が運営する文明社会はたしかにそんなところがある▼このコロナ禍、いま支局に駐在している記者は昔の私のように名所を訪ね歩く余裕などないだろうが、マリーナベイ・サンズより、まずはラッフルズへ、そう勧めたい。(22・1・26)

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