1891年5月11日、滋賀県大津市で来日中のロシアのニコライ皇太子、後の皇帝ニコライ2世が沿道警備中の巡査に切りつけられる「大津事件」が起こった。政府は日露関係の悪化を恐れ巡査を死刑にしようとしたが、大審院は普通人に対する謀殺未遂罪を適用して無期徒刑の判決を下した▼日本とロシアがあわや戦争に発展するかと危惧されたこの事件。列強の一つであるロシア帝国に対し、まだ発展途上だった日本が武力報復されかねない緊迫した状況下にあって、司法の独立を維持し、三権分立の意識を広めた重要な出来事とされている▼ロシアでは誤った新聞報道を受けて対日感情が悪化したものの、明治天皇がニコライを見舞い神戸まで見送ったことが知られると騒ぎは鎮まった。ニコライ本人は優しくて気が弱く、日本にも配慮していたことが危機から脱する大きな要因になったとみられている。ただ、その後の帝国主義の流れに乗って自身が皇帝時代に日露戦争に突入する▼世界で起きているあらゆる出来事は結局、人間の判断による。時の権力者によって最悪の事態を招くことにもなりかねない。過去に裏打ちされた政治的要素もはらむが、長い歴史のなかで培った信頼関係や約束を反故にするようなことがあってはならない。いかに自らの行動を正当化しようともだ。(22・5・11)

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