生き物にとって最も切実な問題は、日々の糧をいかに獲得するのかということである。それは生き物の本来の目的ではないにしても、生死を分かつ問題である。人は、経済活動の仕組みのなかで日々の糧を得ている。つまり、仕事を得て、その対価で糧を得ている。だから失業とは、ある意味死刑宣告のような一大事である▼今回のコロナ禍において、多くの人が主張するのは、まずは命の問題、つまり感染防止策が優先されるべき対策であるということだ。そして、同時に経済の問題との両立も課題である、と付け加える。つまり「命」と「経済」を別の問題、あるいは対立する問題のようにとらえている。しかし、経済とは生死を分かつ問題であり、命の問題そのものだと思うから、違和感を覚える▼今回のコロナ禍でも、足もとで給料の減らないサラリーマンは少なくない。コロナ禍への対策を考え、意志決定する人のほとんどはそういう種類の人々である。経済問題が命の問題という感覚から遠い人々、そう言わざるを得ない▼しかし、である。誰も何も与えてくれないような危機や困難が生き物を鍛え、進化、あるいは進歩を促してきたに違いない。どうせなら、この困難を利用して前よりも強くなりたい。ひとつ上の次元に行きたい。そう考える自分もサラリーマンではあるのだが。(20・5・19)

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