家飲みもいい加減に飽きてきた。家人がつくってくれるつまみは、もうしわけないが左党にはやや物足りないので、自分で作ることが多い。スーパーで食材を選んできて、軽いアルコールを飲みながら、切ったり、ちぎったり、焼いたり煮たり。一日の中で一番楽しい時間になってしまったが、自分で作っていると同じような料理をつくりがちで驚きがない▼外で飲むときは、店の日替わりのお奨めがあったり、行く店を変えたりするから、料理のバラエティーは豊富になる。この“驚き”“バラエティー”を家飲みで実現するのは簡単ではない。太田和彦さんの指南書を読んだり、クックパッドで検索したりしているが、所詮、できあがるつまみは素人料理だ。プロの板前、料理人が作るつまみが恋しい▼料理の内容と質だけの問題ではない。やはり家族以外の仲間や友人と飲むその会話が恋しいのである。〈さすたけの君がすすむるうま酒にわれ酔ひにけりそのうま酒に〉(良寛)。「さすたけ」は「君」の枕詞で意味はない。「うま酒」は美酒。快く君がすすめてくれる美酒にすっかり酔って、最高の酔い心地だよ、君の美酒に。この歌は〈限りなくすすむる春の杯は薬の中の薬とぞきく〉への返歌だという。ただし、限りない杯が薬であるのはその場限りの夢であること、ゆめ忘れずに。   (21・2・10)

記事・取材テーマに対するご意見はこちら

PDF版のご案内

精留塔の最新記事もっと見る