社会を生きていくには対話が必要だ。明日の飲み会のお店、どこがいいですか。この仕事の納期はいつですか。自らの立場や都合と相手のそれとを並べてみて、それぞれが納得できる答えを導き出すには対話するしかない。それは国と国の関係においても同じだ▼しかし、残念ながらうまく対話が成立しないケースもある。さまざまな原因があるが、例えば何か邪悪なことを考えている相手とは対話が成り立たない。うちで採れた野菜は大しておいしくないが、1年分全部買い取ってくれ▼何か本質的なこと、根本的なことを考えていない人との対話も難しい。その重要な問題について相手と協議しましたか。いいえ。それはなぜですか。自国第一、グレート・アゲイン!。悩むのは、対話が成り立たない人に対してどこまで寛容であるべきかである▼寛容にはいくつかの種類がある。異質なものであっても、理解を示そうとする態度、あるいは相手に明らかに過失があるが赦して罰しない態度も寛容である。ただし、その寛容力が発揮されるには、相手に一定の真理や正義が認められることが前提となる▼カラスだけでなく、近所の野良猫までがゴミ収集場を荒らすようになった。もちろん、対話はうまく成立しない。後始末もしてくれないが、今のところ寛容に対応している。(20・10・13)

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