何かの巡り合わせかと思うことがある。発車直前の電車に乗るため少し小走りだった時、呼び止められ振り向くと、見覚えのある交通系ICカードが入ったケースを手にした中年サラリーマンが立っていた。弾みで背広のポケットから落ちたものを拾ってくれたのだ▼しばらくあっけにとられていたが、一緒に小走りで追いかけてくれたことを察した。半年分の通勤定期を継続して間もなく、チャージもだいぶ残っていたから助かった。もちろん深々と頭を下げ、最大限の感謝の気持ちを伝えた▼その数日後の帰宅途中、自転車の横に倒れていた初老の男性を助けた。近くにいた塾帰りの中学生らしき若者と一緒にその人を起こし、自転車をほど近いその人の自宅前まで押して運んだ。今度は何度もお礼を言われた▼回り回って人は助け合っていることに気付かされる。だが、無意識のうちに人に迷惑をかけ、逆もまた然り。それは広がりをみせる新型コロナウイルス感染症も同じか。情報開示の遅さは指摘されるものの、感染経路にいる人達を責めたりはできない▼武漢からチャーター機で帰国した日本人が宿泊するホテル職員の子どもに対し、いじめがあった。善と悪の判断ができるかが大人と子供の違い。まず大人が率先して正しい理解を示すこと。それが、いつか自分に戻ってくる。(20・2・13)続きは本紙で

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