最近よく聞く話がある。耳が痛くなる指摘ともいえる。それは、緊急事態宣言によりステイホームを経験した結果、必要なものとそうでないものが明確になってきた、というストーリーだ。そうと気が付いてしまった以上、本当に必要でないものはアフターコロナの世界で生き残ることはできない。そういう怖い響きをともなった話である▼とくに、ビフォーコロナの世界において猛烈に仕事をしてきたと思われる経営層から、その手の話が多い。例えばアフターファイブや週末における、日本のサラリーマンの過ごし方を自戒する声。これは耳が痛い。また、コロナ禍で売り上げを減らす自社製品について、世の中に必要とされているのかどうかを再考する必要性を感じた、との声も聞く。こっちは極めつきで耳が痛くなる▼さて、毎朝スマートフォンを開くと、まず目に飛び込んで来るのは、勝手に送られてくるニュースや広告の数々である。その多くはゴルフ、車、サッカー、ボクシング、古い英国のロックバンドといったジャンルだ。完全に個人の嗜好を把握されている。さてこのなかに、どれか一つでも本当に必要なものがあるのだろうか▼それが必要なのかと、深く考えると分からなくなる。それが無い人生は著しく味気ないか、と考えてみる。ほとんど全部イエスですが何か。(20・6・2)

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