多摩川の堤防には、観客席のような段差がある。85年前のきょう、日本初の自動車レースが行われたが、その会場が今はなき多摩川スピードウェイだ。全長1200メートル、幅20メートルのオーバル(楕円)コースで、その日は1万人ほどが観戦したという。そのメインスタンドの跡が堤防に残っている。このレースにホンダの創業者、本田宗一郎氏が出場していた▼フォード、ベントレー、ブカッティなど海外の車が多数参戦するなか、本田氏はフォードの車体に自ら製作したエンジンを載せた「浜松号」で出場。平均時速120キロメートルと断トツの速さを見せるが、前走車とクラッシュし大けがを負っている。終戦後、内燃機関や工作機械の製造や開発を行う本田技研工業を立ち上げ、世界のホンダへ飛躍する礎を築いた▼本田技研設立から6年目の新年挨拶でこう述べている。「今年も外国から優秀な機械を大量に購入する。設備が充実すれば世界1位になれる。しかし単に設備だけでなく、皆さんのアイデアと溢れる情熱を積み重ねてこそ、世界の人々に喜ばれる製品ができる。未来へ大きな希望を持って大いに勉強し、日本の工業を世界に披瀝しよう」▼「狭い日本を見てちゃいかん、世界を見ろ」「商品はお客さんが喜んでなんぼ」が口癖だったという。時代は変わっても不変の視座である。(21・6・7)

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