江戸から東京に改名されたのは慶応4年7月17日、西暦では1868年のきょう9月3日のこと。この年に元号が明治に改められた。当初は大阪への遷都が提案されたが、京都の守旧派の公家らが反発し実現しなかった▼その後、江戸城の無血開城を契機に江戸への遷都論が出てきた。理由は、首都とならなかった場合に荒廃が予想されるほか、日本の中心にあり、手狭な大阪よりも藩邸など再利用可能な建物が多いことなどだ▼しかし、またもや遷都自体に対する公家らの反発にあった。そうしたなか、遷都により都を移すのではなく、新たに江戸を都に定める奠都によって、東西両都として東日本を統括することに定められた。そうして遷都の号令がないまま事実上の首都となった▼それから150年余を経た今年、東京にはさまざまなことが起きている。新型コロナウイルスの感染は首都圏で著しく、毎日発表される東京の感染者数に注目が集まる。東京五輪・パラリンピックも1年延期され、コロナのなか準備が本格化してくる▼そして永田町では次の日本のリーダー選びに沸き立っている。7年8カ月に及ぶ長期政権の後を託されるわけだが、求められることは今も昔も、国民の目線に立って、今やるべきことを責任もって着実に実行してくれる行動力だとはっきり言える。(20・9・3)

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