茶の間でくつろぐ休日。家人と語らう数少ない機会だ。しかし、その発言に眉をひそめることも多い。「中国は、なぜあんなに悪いの」「近所に黒人が歩いていて怖い」などなど▼根拠もなく他人を悪く考えることを偏見という。合理的な理由なく分け隔てることは差別という。メディアの端くれに身を置く人間としていつも考えさせられるのは、無知が生む差別や偏見と、表現の自由との境界線は何かということだ▼インターネット社会、SNS社会となり、偏見や差別を助長したり、反対に攻撃、糾弾する行為も増えている。無知による無知批判とでも言うべきか。一方で、情報通信技術の進歩はサイバー空間に広がる知識をさらに容易に獲得できる社会を実現する。これにより人は無知を克服するだろうか▼機械がいつでも必要な知識や情報を与えてしまえば、人は輪をかけて無知になるかも知れない。無知は対立を生み出し、人は敵と味方に分かれて激しく争う。国、民族、宗教や思想などなど。しかし、古今東西そうなのだから、それは人間の本性というものであろう▼むしろ差別や偏見より怖いのは、それらを含めた多様な考えが許されないことだ。SNSもメディアであり、炎上、炎上とうるさいけれど、言論統制や忖度を強いる権力者よりはましなのである。(21・3・30)

記事・取材テーマに対するご意見はこちら

PDF版のご案内

精留塔の最新記事もっと見る