人はたいがい、何かに制約されて生きている。何かに制約されずに自由に生きるなんて、そんな我がままが許されるはずはない、自由なんてない、そんな風に考える。しかし、自由で放蕩に生きる人もいる。許されないはずのことが許される、そんな特権を持つ者もいるのだ▼人類はその長い歴史のなかでたくさんの間違いや失敗を重ねてきた。その結果として、体系的な知識や学問を獲得し、生活が大きく改善され、人口が増え寿命も伸びてきた。しかし特権を持つ人はなぜか間違えてはいけないと思っている。間違えると恥ずかしいし、責任問題になる。だから、間違いは許されないと考えている▼東京地裁は今月、東京電力福島第1原発事故をめぐり、東電の元会長ら旧経営陣5人に対し、総額13兆円余りの賠償を命じる判決を言い渡した。津波対策を怠ったことを過失と判断した。一方で先月、最高裁は同じ福島第1原発事故で国の責任は認めない、との判決を出していた。津波対策を東電に命じたとしても、現実の地震・津波の規模は想定不可能で、事故は防げなかったと結論付けた▼民間企業には十分予見可能であることが、国には予見できないということか。なるほど。その程度の能力の国とは、人々の未来に貢献するような成果を生み出すことのできる存在なのだろうか。(22・7・19)

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