『創立90周年記念特集 第2部』を無料公開

想像のツバサは時を越える

 いま私たちが当たり前のように手にしている暮らしの豊かさは、先人たちが思い描いた未来の姿です。新しい素材を生み出し、産業を興し、社会の課題に応える。日本の化学産業は、まだ見ぬ時代を想像し、それを現実へと変える挑戦を重ねて発展してきました。

 化学工業日報の前身、東京薬品日報が創業された1936年、日本の化学産業は欧米の背中を追い、世界に肩を並べる産業を築こうとしていました。それから90年。戦後復興、高度経済成長、石油化学の勃興、公害や石油危機、国際競争の激化など、幾多の転換点を乗り越え、化学は社会の発展を支えてきました。その歩みの根底には、より良い未来を思い描く人々の「想像力」があったのではないでしょうか。

 創立90周年記念特集の第2部は「過去」に焦点を当てます。先人たちが何を思い、何を乗り越え、次の時代へ何を託したのか。化学産業とともに歩んだ本紙の紙面も紐解きながら、その足跡をたどります。過去を知ることは、未来を想像すること。想像のツバサは時を越え、次の100年へと羽ばたきます。

記事一覧

『創立90周年記念特集 第2部』は全て無料公開となっております。

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記事で振り返る 戦後化学工業の歩み

火薬技術、産業発展の起爆剤

 火薬の始まりは9世紀、中国・唐代の錬金術師たちが偶然発見したとされる。イスラム圏を経て欧州にも伝わり、世界中で大砲や銃などの兵器に用いられた。近代以降には軍事用途だけでなく土木、鉱山、建設向けの産業用爆薬、花火をはじめとする民生用途など幅広い分野に用途が広がり、社会に欠かせない存在となった。殖産興業を急いだ明治以降の日本でも国産化が進められ、化学産業の発展を後押しするエンジンの一つとなった。火薬産業の歴史を紐解けば、国内産業の黎明期から高付加価値・高機能化を志向する現在、火薬のポテンシャルを生かした新たな産業づくりという未来につながる一連の流れが見えてくる。

石炭から石油、そしてその先へ 資源から価値生み出す使命は不変

 さまざまな資源を原料に、化学プロセスによって、これまでにはなかった製品、素材を生み出す化学産業-。人類は古くから木材や鉱物を利用してきたが、化学工業が誕生し、天然には存在しない新たな価値も創出できるようになった。肥料、繊維、プラスチック、ゴム、塗料、医薬品。今日の社会を支えるほぼすべての製品の背後には化学の力がある。化学産業の歴史は、原料となる地球資源をいかに変え、いかに活用してきたかの歴史でもある。

「ランブイエ会議」石化再編を強力促進
 RITE・本庄専務理事に聞く

 中国の大増産を背景に、国内のエチレン生産設備の稼働率は低迷し続け、国内石油化学業界もようやく再編に動き始めた。そこにいたるまでは、国内石化産業の生みの親ともいえる経済産業省の献身的な支援があった。経産省(当時通商産業省)は今から45年前にも石化業界の首脳を一堂に集めた「ランブイエ会議」を企画し、強力に再編を促したことがある。ただ、その後の石化市況の回復によって再編は思ったように進まなかった。経産省の当時の産業政策から学ぶことはないのか。通産省基礎化学品課の係長として同会議の事務局を務めた、地球環境産業技術研究機構(RITE)の本庄孝志専務理事に当時の状況や今求められる産業政策などについて聞いた。(聞き手=藤岡竜志)

化学品専門商社の温故知新、祖業の精神・技術脈々と

 長い年月をかけて顧客との信頼関係を構築してきた化学品専門商社。100年以上の歴史を持つ企業も少なくない。その源流を探ると、多くが染料や薬、肥料などに行きつく。現状の各社のビジネス展開をみると、その祖業の商いが脈々と受け継がれていることが分かる。化学品専門商社の温故知新を追った。

技術革新が支え続ける人々の健康

 国内製薬産業の歩みは、創薬モダリティ(治療手段)の進化の歴史そのものだ。化学工業日報が創刊した1930年代から今日までを振り返ると、化学合成による低分子医薬が長らく産業の中心を担い、21世紀からは高分子の抗体医薬をはじめとするバイオ医薬品が台頭した。さらに近年では、再生医療や核酸医薬といった次世代モダリティが登場し、治療の現場に変革をもたらしている。一方、製薬企業は技術革新の度に事業構造の変革を迫られ、日本企業も幾度となく転換点に直面してきた。

関西・中部企業、成長を牽引してきたコア技術

 50年、100年、150年と、連綿と続くものづくり企業。長きにわたり事業を継続し拡大してきたメーカー各社に共通するのは、確固たるコア技術の存在だ。コア技術から収益増大につながる製品・事業を生み出してきたが、さらにコア技術を追求し、次代を担う製品・事業を創出しようとしている。

ノーベル賞受賞生んだ正負極 LiB、中国LFP系が占有

 電池は、正極と負極の組み合わせが基本要素となる。ノーベル化学賞を受賞した吉野彰旭化成名誉フェローは、開発を進めてきた負極に適合する正極との出会いにより現在のリチウムイオン2次電池(LiB)の基本構造を確立した。この10年で市場を大きく変えた中国のLFP(リン酸鉄)系も、基本は正極と負極の組み合わせの工夫で先行していた日系勢に追い付き、そして大きく引き離した。

ディスプレイ、変わる勢力図 勝ち筋は素材の差別化

 2000年代にかけて「液晶のシャープ」がけん引役となり、偏光板、カラーフィルター(CF)など多くのディスプレイ材料で日本勢が高シェアを握った。その後、液晶パネルは台湾や韓国に主導権が移り、最終的に中国勢が市場を席巻。液晶パネルは装置産業であり、中国政府の補助金を武器に大型ラインの積極投資に動いた中国パネルメーカーに軍配が上がった。

 偏光板も装置産業の側面を持ち、広幅ラインに積極投資する中国勢が徐々に台頭。偏光板は光学フィルムを貼り合わせる加工部材で、差別化しにくいことも影響した。そのため日本の偏光板メーカーは大型パネル向けから舵を切り、日東電工は高信頼性が求められる車載用途に活路を見いだし、住友化学は有機EL用途にシフトした。

世界席巻した記憶媒体 すり合わせの技術の結晶、HDD

 20世紀の記憶媒体は日本のお家芸であり、独壇場だった。ビデオテープやフロッピーディスク、光ディスクなどは日本メーカーなしにはこの世に存在し得なかった。当時のソニーや東芝、パナソニックなど電機大手が世界に飛躍する原動力は記憶媒体と、それを搭載したAV機器・パソコンだったといえる。

 当然ながら家電製品の黒子として部材を供給する日本の化学メーカーが技術を磨き、素材力もまた欧米の追随者から世界の先頭集団に躍り出る契機となった。

近代化の基盤支えた電線産業、再エネ時代も進化続く

 電線は社会のインフラとして、あらゆる産業の基盤を担う。日本では1832年に初の導線製作に成功、50年代から電線製造が勃興し、現在まで残る会社の多くが1900年代までに設立されている。国内需要は90年代に最盛期となり年産120万トンに到達した後、現在は58万トンと約半分に減少。一方で世界全体では日系企業が年産100万トンを超える規模の生産力を持ち、世界全体を支えている。

プラント・産業機械のターニングポイント トップランナーの軌跡

 カーボンニュートラルや生成AI(人工知能)など、人類の暮らしを豊かにする技術革新は止まらない。いま勢いよく伸びている業界のトップランナーたちは、時代に先駆けた挑戦により新たな分野を切り開いてきた。彼らを挑戦へと駆り立てた背景をたどり、成長を加速させた転換点を探る。

変革進む世界の化学産業

 世界でも化学産業の変革が進んでいる。米国ではダウとデュポンの2大企業が統合・分割の再編を実行し、石油化学を軸に発展してきたシンガポールは2000年代以降、医薬品・医療機器産業の振興を始めた。中国は四半世紀を経て化学大国に飛躍し、世界で存在感を高めている。

シンガポール、医薬・医療機器を新たな柱に

 研究開発から生産までを担う世界有数のバイオメディカル拠点となったシンガポール。その礎となったのが、2000年6月に政府が始動させた「バイオメディカル・サイエンス(BMS)・イニシアチブ」だ。化学、電子、エンジニアリングに続く新たな経済の柱として、医薬品、バイオテクノロジー、医療機器、医療サービスからなるバイオメディカル産業の振興を目指す構想を打ち出した。

 BMS構想の特徴は、研究から生産までを一体的に育成しようとした点にある。同国経済開発庁(EDB)が産業誘致を担い、科学技術研究庁(A*STAR)が研究開発基盤を整備する体制を構築した。

米国、「技術革新」生む土壌息づく

 米国が建国250周年を迎えた。世界の化学産業を牽引してきた米ダウと米デュポンもまた、それぞれ1世紀を超える歴史を持つ。同国の産業発展とともに歩んだ2つの化学企業の原点を求めて、米ミシガン州ミッドランドと米デラウェア州ウィルミントンを訪ねた。

中国、エチレン生産 日本の8倍

 中国のエチレン生産量は2025年、4150万トンとなった。05年に日本と比肩した中国のエチレン生産は国内経済の急成長を背景に、以後20年で日本の約8倍へと拡大した。それは「世界の工場」から「最重要市場の一角」へと発展を遂げた中国の足跡そのものでもある。