【シンガポール=中村幸岳】シンガポールの化学産業はコロナ禍が拡大した今年3月以降、外国人労働者の感染拡大など事業継続にかかわる重大なリスクに相次いでさらされた。東南アジア市場全体が通貨危機直後のような「ディマンド・ショック」に見舞われるなか、同国の化学品生産も4月から前年同月比で減少に転じた。域内市場がコロナ前の成長ペースを取り戻すには2年を要するとの見方もある。政府は高機能樹脂や3D印刷など川下分野に焦点を当て、化学産業の長期競争力を確保しようとしている。

◆30万人が出勤禁止

 シンガポール本島西部ジュロン地区。製油所や化学工場が集まるジュロン島も近い同地区には、建設や物流、環境整備、工場の定修や維持保守、廃棄物処理などの現場で働く外国人労働者の専用宿舎が集中する。その多くでクラスター感染が発覚したのは3月末。政府は翌4月半ば、全国の専用宿舎に宿泊する外国人労働者約30万人の出勤を禁止し、検査を本格化させた。これにより、同国のインフラ整備やビル建設が一斉にストップする事態となった。

 影響はエネルギー・化学産業にも及ぶ。平常時、ジュロン島では約8000人の外国人労働者がさまざまな業務に従事しており、彼らが出勤できなければ生産設備の多くが操業停止に追い込まれる。業界の要請を受けた政府は急きょ、未感染を確認した約1500人を別の宿泊施設に移し、操業継続に最低限必要な維持保守作業や廃棄物処理の要員を確保した。

 シンガポール経済開発庁(EDB)など政府機関は、4月初頭に始まった部分都市封鎖のかなり前から企業と対応を協議し、ジュロン島での感染発生を未然に防いだ。しかし6月末現在、同国の新型コロナウイルス感染者数は、域内ではインドネシアに次いで2番目に多い約4万4000人。うち9割以上を占める外国人労働者の新規感染者はなお増加傾向にある。

 EDBによるとジュロン島内では近く、建設・増強工事が再開される見通し。しかし日系を含め複数の化学メーカーが定修延期を余儀なくされており、「触媒寿命などの関係で延期にも限界がある」(日系化学企業社長)。現状、外国からの支援要員受け入れも難しく、事態の早期打開を望む声は強まっている。

◆エンプラ投資が増加

 2019年のシンガポールの化学品生産量は、過去最高を記録した18年に次ぐ高水準だった。しかしコロナ禍で状況は一変。今年4月の化学品生産は前年同月比6%減、5月も同13%減となった。

 タイやベトナムは都市封鎖を解除し、インドネシアとマレーシアでも段階的解除が始まったが、化学品市場の先行き不透明感は強い。域内の自動車産業をみると、5月の新車販売はタイが前年同月比54%、インドネシアが同96%と域内2大生産国でいずれも大幅減。

 「4~5月はティア1、ティア2が合成樹脂などの原料在庫を積み増したがそれもひと段落し、ある顧客は『下期は発注できるかどうか分からない』といっている」(タイの日系化学メーカー社長)、「6月に入って自動車関連顧客の稼働率が5割を上回り、7月以降は需要正常化を見込む」(在シンガポール商社)など、見方は分かれる。

 こうしたなか、シンガポール政府は化学産業でより「川下」を意識した成長戦略を加速させる方針だ。同国での投資実績からもその傾向が浮き彫りになる。19年の化学関連投資は46億シンガポールドル(約3600億円)と過去10年で2番目の規模だったが、その中には仏アルケマによるポリアミド11(バイオナイロンの1種)工場新設や、サウジ基礎産業公社(SABIC)によるポリエーテルイミド(スーパーエンプラの一つ)投資といった案件が含まれる。

◆製造業高度化に寄与

 3D印刷や、炭素繊維強化樹脂をはじめとする複合材料の関連企業を誘致し、両産業の地域ハブになることも目指す。3D印刷については、政府肝いりで発足した産官学連携組織・積層製造技術革新クラスター(NAMIC)が、世界各地の有望企業・スタートアップの支援や探索、研究開発援助を行い、シンガポールでの産業集積につなげようとしている。

 3D印刷は、製造プロセスの簡素化や部品点数削減も可能にする。原料・部材の大半を輸入に依存するシンガポールにあって同技術は、原料輸入依存の軽減、ひいては地元製造業の維持高度化への寄与が期待されている。世界シェアで1割程度を占める航空機MRO(修理・整備)のほか、ヘルスケアや海洋資源開発、精密機器などの製造業で、すでに3D印刷技術の実用化が始まった。

 こうした川下重視戦略の背景には、化学生産の停滞があるとみられる。政府統計によると、化学品生産量は18年に過去最高を記録したものの、生産額は14年をピークに伸び悩みが続く。また合成樹脂はピークだった00年に比べ、19年の生産量・額は5割も減少している。

 シンガポールはこれまで、アクリル酸や高吸水性樹脂、飼料添加剤メチオニンなどのC3系誘導品、溶液重合スチレンブタジエンゴム、ポリブタジエンゴム、臭素化ブチルゴムなどC4系誘導品などの投資を誘致し、誘導品の多様化と高付加価値化を進めてきた。エタンベースで競争力の高い北米あるいは中東産C2系誘導品の流入に備える意味もあった。しかし競争激化や市況変動もあって少なくとも統計上はその成果が見えにくくなっており、さらなるテコ入れが必要となっている。

シンガポール企業STエンジニアリングと米プラット&ホイットニーは、3D印刷で航空機エンジン用部品を製造する

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