世界で一人、あるいはごく少数しか患者がいない超希少疾患に治療薬を届ける「N-of-1(エヌオブワン)医療」と呼ぶ取り組みが欧米で広がっている。遺伝子診断の進歩と、遺伝子の塩基配列に作用する核酸医薬の登場により、治療薬を短期間に開発できる可能性が高まり、ファンドなどが患者支援の仕組みを作っている。

 日本は核酸医薬分野で素材から製造、創薬研究まで幅広いサプライチェーンが整う国の一つだ。少数の患者に対する新薬の研究開発は、製薬会社にとって商業的なインセンティブを見出しにくい。先端技術をどう難病医療につなげるのか、国や企業、医学界、研究者らが連携して議論を始める必要がある。

 N-of-1医療を象徴するのが「ミラセン」と名付けられた核酸医薬だ。米国のボストン小児科病院が「ミラちゃん」という女児一人のために約5年前に開発した。記憶障害や失明、けいれん発作を繰り返して死に至る難病、バッテン病と診断されたが、遺伝子診断で変異が起きている塩基配列が判明し、核酸医薬を創製できた。

 核酸医薬には、異常な塩基配列を遺伝情報の翻訳過程で読み飛ばすように作用し、正常なたんぱく質を作り出せるようにするタイプがある。筋ジストロフィーの治療に実用化が進み、応用が広がる。新型コロナワクチンで実用化されているmRNAも核酸の一種で、配列が分かれば薬効成分を短期間に設計できるのが核酸医薬の特徴だ。ミラちゃんは残念ながら先ごろ亡くなったが、ミラセンで発作を抑えることに成功した。

 通常、新薬は基礎研究が始まってから人に投与する治験までに3~5年かかる。進行性の致死的な難病であれば、治療薬は間に合わない。ミラセンのケースは研究者と米国食品医薬品局(FDA)が協議し、治験前の一部の試験を簡略化、10カ月で治験に進むことができた。

 この事例によりN-of-1医療が活気づく。核酸医薬を開発する米国の製薬会社、アイオニスの創業者は私財を投じてファンドを創設した。患者の遺伝子診断から核酸医薬の創製、治験対応と治療を支援するスキームを構築し、研究開発はアイオニスが、製造では受託大手の日東電工が協力している。欧州でも同様の枠組みを検討中だ。

 新薬開発のほとんどのプロセスで既存の規制やルールを乗り越えなければ、こうした医療はなし得ない。高額医療費をどう分け合うかという議論も重要だろう。海外の先例を参考にしながら、先端技術が必要な患者に届く医療体制を日本も実現したい。

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