テクノロジーの進化は、仕事や日常生活における単純作業などの労苦から人を解放する。しかし、それによって生まれた時間とエネルギーを、人はどのように活用するべきなのか。

 作業効率を改善するデジタル技術の導入に際し「より付加価値の高い仕事ができるようになる」との主張がよく聞かれる。煩雑で利益を生まない非生産的な業務をAI(人工知能)やロボットに任せることで、人はよりクリエイティブな仕事に従事できるというものだ。確かにオフィスでの煩雑な書類作業や、工場での原料投入、運搬、梱包などの自動化は、大幅に効率を高めてくれるだろう。だが、人間に残されると目されている付加価値の高い仕事とは、いったい何だろうか。

 身の回りが便利になるのは結構なことだ。最先端の話を持ち出すまでもない。長期出張時に、ホテルの洗面台で洗濯した経験がある人には分かるだろう。洗った後の衣類はいくら力いっぱい絞っても、干した後から水滴がぽたぽたと落ちてくる。暖房を付け放しにすれば簡易加湿器代わりにもなろうが、たいていは絞り直さなければならず、とにかく握力を酷使する。何よりも洗濯中は他のことができない。洗濯機や乾燥機は、この骨折りを省略してくれる。だが、こうしたテクノロジーの恩恵を生産的に変換できていると胸を張って言える人は、ほとんどいないだろう。

 皮肉にも、テクノロジーは非効率を解消する一方で副産物も生み出す。例えばオンラインツールを駆使したリモートワーク、あるいはアプリで食べ物をデリバリーしてもらえるといった環境は快適だ。掃除ロボットも普及した。しかし肉体の物理的な活動が少ないと運動不足になる。

 哲学者や芸術家は、散歩中に着想を得ることが多いという。生理学的には脚を動かすと筋肉が収縮し、脳への血流が増えた結果ということになるのだろう。運動を習慣化すると、脳の神経伝達機能も強化されるらしい。

 人は身体を動かす機会が減ると、創造の泉の水位も下がると言えそうだ。単純作業も非効率なようで、それに没頭していると、ある種の瞑想状態に入る。メディテーションは長らく人気があるが、情報過多の時代には精神衛生のためにも、こうした不便を受け入れる豊かな時間が必要なのかもしれない。

 人はどこに向かうのだろうか。一つ課題を解決すると別の課題が持ち上がり、それを解消する革新的な技術が生まれる。このサイクルが経済を回しているのだろうが、大事なことを見落としている気がしてならない。

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