その昔、人々の多くが農業に従事していた頃、家督は長男だけに相続されていた。相続のたびに子供達に分け与えては土地がどんどん小さくなってしまい、誰も食べていけなくなる。このため、田んぼを分け与えるものは「たわけもの」と罵られた。そんなわけで田舎はますます保守的、封建的な色彩を濃くしていく▼都市に集まるのは田畑を持たない地方の者たちだった。家長となれない次男、三男は、自分の田畑がないから職を求めて都市に集まる。こうして都市には革新的気質の食いっぱぐれが集まり、新たな投資を呼び込みながら発展していく▼東京日本橋の人形町界隈には、老舗の料理屋が多い。創業250年以上の鳥料理「玉ひで」をはじめ鰻の「高嶋屋」、すき焼きの「日山」など100年以上のお店が立ち並ぶ。日本料理や京粕漬けの「魚久」、肉料理や精肉の「今半」も有名だ、すぐ近所にある日本橋浜町の明治座とともに、観光スポットにもなっている▼その人形町の老舗ではない料理屋で飲んでいると、面白い話しを聞いた。「め組」で有名な江戸時代の火消しの「いろは48組」の制度が、今でも残っているという。人形町界隈を担当していたのは「は組」で、その組長ともなれば令和の今も町の顔役なのだとか。けだし保守的な都会であるが、それも悪くない。(21・10・26)

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