日本から上海へ入境した際、フライトの後列座席に新型コロナウイルス検査の陽性者がいたとして始まった指定施設での隔離生活。2度目のPCR検査をパスし、10日午前、11日間のホテル暮らしは終わった。健康に異常もなく乗り切れた安堵と、生活の自由を取り戻した喜びは、なにものにも代え難い。それでもどこか心が晴れないのは、このウイルスとの戦いの終わりがいぜんとしてみえてこないからだ。

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 「お疲れ様でした。お代は結構です」。10日午前9時。フロントでルームキーを返し、宿泊費を払おうとすると清算は不要だといわれた。事前に、1泊200元(約3000円)と聞いていたので驚いたが、方針が変ったとのこと。別のホテルでは1泊400元を請求されたケースも耳にした。地区やホテルによって異なるのだろうか。

 防護服を身にまとい、日々の食事の配膳などをしてくれていた担当者が手を振って見送ってくれた。政府による運営のため、行き届いたサービスではもちろんなかった。それでも「困ったことがあればなんでも言ってください」と声をかけてくれた。施設内に陽性者がいるかもしれず、緊張感もあるだろう。彼らだって感染のリスクと戦っているのだと思えば、感謝の気持ちも芽生える。

「晴れた日が辛かった」

 隔離初日の登録手続きの時に見せられた資料には、手書きで「健康監察期間は3月26日午後3時~4月8日午後3時」と書いてあったため、8日の午後には自宅に帰れるのだろうと践んでいた。実際は、8日の3時に、入境時に空港で行って以来2度目となるPCR検査が実施された。ホテルの外に連れていかれると、エントランスに設けられたテントの前に、10人ほどが1メートル間隔で行儀よく並んでいた。同じフライトに乗っていた人達だろうか。前の組は母親とその娘だった。結果が陰性であれば10日に帰宅できるといわれた。入境日翌日の3月27日から起算して丸14日間の経過観察というわけだ。

 検査から24時間経った9日午後3時になっても、うんともすんとも言ってこない。しびれをきらして問い合わせると、「まだ検査結果が出ていない」という。ようやく連絡が来たのはそれから2時間半後の5時20分だった。「陰性でした。日付けが変って、10日午前0時以降、ホテルを退出してかまいません」。消毒作業があるため、10日10時までにチェックアウトを済ませるよう指示された。

 帰宅許可の知らせを受け、ベッドに腰を下ろす。肩の力がどっと抜けた気がした。施設では他との接触がほとんどないため、感染リスクは極めて低いが、万に一つでも偽陽性がないわけではない。明日には、この単調で退屈な生活から解放されると思うと、心も弾んだ。

 期間中、隔離生活経験者や同じ境遇の最中にある駐在員と、いくども電話やSNSで言葉を交した。「残り日数の長さを思うと、隔離生活の前半がとくに辛かった」と誰もが口を揃える。「雨の日より、よく晴れた日に家にいなければならない時の方が気持ちが沈んだ」という声もよく聞いた。「隔離によるこんな苦痛を味わうリスクがある間は、退避させている家族をなかなか呼び戻せない」との意見も共通だった。

上海は本当に安全か

 私権侵害、自宅での隔離でも良かったのではないかと憤りも覚えたが、疫病との戦いはここまで徹底しなければ終わりを迎えられないのかと納得する部分もある。上海に入ってからPCR検査を2度も受けることもできた。少なくとも、現時点で自分は感染者でないという安心感も得られた。

 10日間以上留守にしていた自宅に戻ることができほっとしているが、飛び跳ねて喜ぶような気にはならない。上海は本当に安全なのか。武漢を解放してよかったのか。日本の感染ピークはこれからではないか。退避させている社員や家族はいつ呼び戻せるか--。駐在員の多くが今、同じ思いや不安を共有しているのだと思う。(但田洋平)

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