武田薬品工業や英グラクソ・スミスクライン(GSK)で研究開発トップを務めた山田忠孝氏が3日、米国の自宅で死去した。76歳。死因は不明。

 山田氏は1945年の日本生まれ。60年に渡米し、ニューヨーク大学医学部を首席で卒業。ミシガン大学医学部内科学の教授などを務めた後、英グラクソ・スミスクライン(GSK)取締役、ビル&メリンダ・ゲイツ財団のグローバルヘルス部門総裁などを務め、日本初の国際的な官民ファンド「グローバルヘルス技術振興基金(GHITファンド)」の設立にも尽力した。

 2011年から15年まで武田薬品の研究開発トップを務め、研究開発部門を大改革。開発が行き詰まっていた炎症性腸疾患治療薬「エンタイビオ」に注目し、大型化への道筋を作った。退職後は米投資ファンドのベンチャー・パートナーとして、武田からスピンアウトした医薬品の開発会社立ち上げなどに関わっていた。

 英国政府から大英帝国勲章(司令官騎士、ナイト・コマンダー)、日本政府から旭日重光章を受章。海外では「タチ・ヤマダ」の愛称で知られていた。

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