「にわか雨に備えて折り畳み傘を」とか「午後からは雨なので洗濯物は部屋に干して」。魔女の杖のような棒で天気図を指し示す気象キャスターと番組メインキャスターが和気藹々と話す天気予報。こんな懇切丁寧なスタイルになったのはいつ頃からだろう。事の予測がおぼつかない子どもたちに親が言うなら仕方がないとも思うが、大の大人に向けてとなると、「なんだろうこの過保護は…」と違和感がもたげる▼男ひとり、女ふたりのわが家では意見が分かれる。雨にすこし濡れるくらいがなんだ。寒かったら体を動かせ。中高年の男はそんなことを言う。ふたりの女は、その濡れた服や汗をかいた下着の洗濯は誰がしているの? 雨が降ってきて洗濯物が濡れたら、誰が家に取り込むの? と、かまびすしい▼さもあらんではあるが、コロナ感染者数拡大のニュースのあとに、あの天気予報はいかがなものか。それまで画面に充溢していた危機感は雲散霧消している。これを、日本の天気予報スタイルになれていない外国人が見たら、危機感が足りないと思いはしないか▼かくいう自分も、切迫した状況でこんな危機感の薄い文章を書いている。それで良いのかと自省の念が涌く。やっぱり、気持ちの面でも閉じ込められつつあるのだろう。あの天気予報はそのデトックスなのかもしれない。(20・4・15)

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