ある寒い朝、新聞を取りに戸外に出たら、わが家の小さな庭に霜柱がたっていた。土中の水分が凍って柱になり、土を盛り上げている。朝日があたってきらきら輝き、それを見ているとしらずしらず童心に返っていく▼そして、お決まりのこれ。あっちこっちと踏みしめて、霜柱をくずしていく。さくっ、さくっ、という音が心地よい。サトウハチローの童謡「ちいさい秋みつけた」にかこつければ、「ちいさい冬みつけた」といったところ。〈ひとは何度初雪といふものを見むゆふぐれの子が空を見てゐる〉。東大教授で歌人の坂井修一さんの短歌も同類の趣だ▼ところが冬は、いきなり、そして大きな冬としてやってくることもしばしばだ。襲ってくるが実感に近いかもしれない。先週、札幌市と小樽市で24時間降雪量が観測史上最多を記録した。それぞれ55センチと53センチ。この影響でJRの列車が運休するなど交通も乱れた▼ただ、降りしきる雪に詩が生まれないかというとそうでもない。〈降る雪はかぎりなく闇をふり下り一発熱体として歩みゆく〉(田井安曇)。人間はたくましく、そして繊細だ▼今冬はどうか。降るなら“抒情的な”雪であれと願いたいが、誰に願ったらいいのやら。縄文人ならいざ知らず、そんな都合のいい神様がいないことは現代人はとうに知っている。(21・12・22)

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