「弘法筆を選ばず」という諺がある。一般的には、名人や達人は道具の善し悪しをとやかく言わず、どんな道具でも上手に使いこなす、という意味で使われる。名人や達人はそう多くいないので、実際には技術の乏しい者が言い訳として道具のせいにすることを戒め、努力を促す意味らしい。同じ意味の諺に、下手の道具調べなどもある▼一方で弘法大師(空海)は「腕の良い職人は何よりも道具を大切にする」という言葉を残したとの説もある。そうなると、弘法筆を選ばずと逆の意味になる▼言葉は生き物である。古代から伝わる言霊のように、言葉として発すると実際にそうなる不思議な力を宿しているケースもあれば、言い方によって全く違う意味に伝わったり、時代によって逆の意味に変化したり。しかし、だからこそ人類は多様なコミュニケーションを身に付け進化してきたのだろう▼毎週末、練習場に行くと、このクラブは曲がるんだと文句を言い、今度出る新しいクラブは飛ぶらしいと、道具談義に花を咲かせている人が少なくない。側耳を立てつつ、10年使っているクラブを買い換えるかと悩む自分に気付く▼悩みは深まる。道具を変えれば良くなるのか。今ある14本の棒を何とか使いこなせるよう、乏しい技術を改善するべきか。はい、後者で間違いありません。(20・10・19)

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