子供の頃、近所を駆け回って遊んだあと、帰る途中で夕焼けをよく見た。空や雲を鮮やかに染めながら地平線に消えていく太陽を眺めるのは日常の出来事だった▼大人になるとそうした機会はめっきり減った。都会には、高層ビルの上方階にオフィスがあれば別だが、地平線と呼べるものがほとんどない。日没の時刻に落ち着いた気持ちで空をぼうっと眺める機会というのも滅多にない。最後に地平線に沈んでいく太陽を静かな気持ちで眺めたのはいつのことだろうか▼「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す」。これは聖徳太子が推古天皇の名でもって、隋(中国)の皇帝だった煬帝に宛てた手紙の書き出しとされている。煬帝はこれを読んで怒ったという。日の出の勢いの国が、これから暗い夜を迎える国に手紙を送る、と解釈できるからだ。まるで現代と正反対のような聖徳太子の無礼さに、どこか逞しさも感じる。今の政治家に同じことができるだろうか▼一方で、日が沈む方向やその方角に位置する場所は古来、人々に特別な思いをいだかせてきた。日没する方向には現世とは違う場所、黄泉の国があると考えられてきたからだ。かつての日本の中心地からみて、日没の方角の地に出雲大社があるのもこのためか。久しぶりの夕焼けに向かい、静かに拝んでみる。(20・8・4)

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