菅首相が先週末に視察したのが高輪ゲートシティ駅周辺で出土した「高輪築堤」。明治初期、日本最初の鉄道が建設された際、田町~品川辺りの約2・7キロは利用許可が下りず、海上に盛り土をして石垣で固め線路を敷いた。その高輪築堤を走る蒸気機関車を描いたのが浮世絵師の三代歌川広重▼初代広重は「東海道五十三次」に代表されるように名所絵(風景画)を得意としたが、三代広重はそれまでの浮世絵とは趣を異とし、江戸末期から明治にかけて都市が西洋化していく様子を描いた▼浮世絵(錦絵)に使われていた赤色の絵の具「紅」は紅花などの植物を大量に必要とし非常に高価だった。明治に入ると安価な赤色のアニリン染料(合成染料)が輸入され錦絵にも使われるようになった▼これらの作品は「明治赤絵」と呼ばれ、三代広重も使い手の一人として知られる。空を赤く染めたりするなど背景に多く使われた作風は美的な評価が落ちたとの指摘がある一方、文明開化の華やかさを表現した手法ともいえそうだ▼アニリンは染色産業に欠かせない原料だったが、第一次世界大戦で輸入が途絶えてしまった。そこで本州化学工業の創業者、由良浅次郎がベンゼンの高純度化技術を開発、アニリン合成に成功した。その時製作されたベンゼン精留装置は化学遺産に認定されている。(21・6・4)

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