手の甲の皮膚を指でなぞったり、つまんでみたりする。その感触や見た目にすっかり歳をとったな、と感じる。同時に、このようなひ弱な膜で覆われた人体というか、生命というものの不思議さを感じずにはいられない。なぜもっと強固で、外敵や怪我などから守りやすい丈夫な皮膚をもたないのか、とかなり以前から考えていた▼古今東西の選りすぐりの本を紹介する千夜千冊というサイトがある。松岡正剛さんの知性とユーモアにあふれる解説文が好きで愛読している。日本化学会編の「膜は生きている」(大日本図書)という本が最近そこで紹介された。世界は膜でできているのに、膜について深く書かれた本が少ないと指摘している▼なるほど内と外を隔てる膜がなければ、生命の単位である細胞も形を保てない。その一方で、水やら栄養やら必要なものを素早く吸収できる膜でなければならない。また、膜の概念は幅広く、熱い牛乳の表面にできるアレも、界面活性剤や塗料も、コンタクトレンズもリチウムイオン電池も膜だと松岡さんは言う▼隔てることと通過させること。その両立は、社会の成り立ちそのものだ。大抵は強固な壁と小さな出入り口の組み合わせである。そうでない、膜のようなシステムもあり得るのか。紹介文で満足せずに本を取り寄せてみようかしら。(22・3・29)

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